華舞師という肩書で、オリジナルのダンス作品の中でお花をいけあげていく、独自のダンスパフォーマンスを行っている、山本芙沙子さん。
現在は、ホテルでのイベントや野外公演・ライブハウスイベントなど様々な場所で様々なアーティストさんとコラボレーション公演等を行い、活動の幅を拡げられておりますが。
そんな彼女が、どの様な経緯で、現在のパフォーマンスを披露するよ表現者の道に進んで行ったのか?どういった思いを持って活動されているのか?
そんな切り口で、今回、山本さんに、インタビューをさせて頂きました。

Ryu(以下R): 本日も本当に有難うございます。よろしくお願いいたします。

芙沙子さん(以下ふ):こちらこそ今回は自分を振り返る、凄く良い機会だと思っていて有難いです。

R:冒頭から、こんなお話であれですが、感謝って大切だなーって、最近あらためて感じてまして

ふ:ほう。

R:色々、揉めたり、なんやかんやしますけど、結局最後は、感謝で終わるな~って法則、セオリー?みたいなものがあるな~って最近感じてましてですね

なので、どうせ最後は感謝するなら、最初から感謝して始める、いきなり感謝してしまうのもありだな~って思ってましてね。

ふ:笑 最後ではなくて、先に感謝しちゃうと。

R: そう、なので、本日も感謝から入っていきたいなって思いまして。本当有難うございます。

ふ:なるほど。では、ありがとうございました。

R :あ~有難うございましたも良いですね(笑)

ふ:時空を超えてるんですね! 先にね!(笑)

R:そんな感じで、本日もよろしくお願いいたします。(笑)

出会いの記憶

R :はじめてお会いしたのいつでしたっけ?

ふ:う~ん、すみません。覚えてないですね、いつでしたっけ?

R :あ、あれ、三軒茶屋じゃなかったでしたっけ? たしか、ハンセン病の支援活動してる方の講演会で、私、最後の方に遅れてきたんですが、その時の同じテーブルで。

会うのは、初めてでしたが、本田健さんのセミナーで、質問されたのを覚えてますよって話をしたのが、初めてだったと思います。

ふ:そうでしたっけ?(^.^;

R:確かそうです。けど、そうなんですよね、そういった場所とか、いろんな場所で、はっきり話されてるから、凄く、印象に残るんだと思います。

ふ:あ~そうですか?

R:活動もある種ユニークなんで、凄く、印象に残るんだと思います。さっきの話でもそうですが、セミナーなんかでも、話が印象深いから、「あの時の、あの人ですよね!」な感じで、記憶に残るんでしょうね。

なので、つながりやすいんでしょうね? ある種目立ちますし。良く声かけられませんか?

ふ:うーん、時々ですかね。しゃべるのは好きなのではっきり話そうってのは、意識にあるかもしれないですね。

わかりやすく話そうっていうのも、意識してますね。

育くまれた環境

R:そういえば、お昼の時にも、ご家族にしゃべる方が多かったってお話されてましたが、家族構成はどんな感じだったんですか?

ふ:父は、公務員なんですが、おそらく会った方みなさんがとても公務員とは思わないであろうものすごくユニークでエネルギーがある、 「え、この人公務員なの?」っていうような人です。

母は、元保育士で、洋裁や手作りが好きな人です。

R:クリエイティヴな方なんですね。

ご兄弟は?

ふ:弟は洋服が好きで、アパレルの仕事をしていて、私は舞台が好きっていう。

父方の祖母は、詩吟をやっていたり、一人で劇場にお芝居を観に行くなど人前に出るエネルギーのある人で、

母方の祖母は、縫い物をしたり、折り紙を作るなど手先が器用なものづくりの人でした。

人前に出る系とものづくり系に分かれていますね。 

R:ご本人としては、どちらの血が濃いと思いますか?

ふ:両方統合したいですね(笑) うまくmixできればな、と。

踊る、舞台に立つというのは、父方で、モノ創ったりするのは、母方なんだと思います。

R:確かにそうですね、生け花的な、花を活けるって行為には、ある種の細かさもありますし、それと、踊りで大胆に表現するって部分もありますもんね。

表現の世界の入口

R:そういった表現の世界へのきっかけ、入口はどこだったんですか?

ふ:一番大きな出来事としては、宝塚に住んでる母の友人宅に遊びにいった時、女の子だから興味あるんじゃないかと、、宝塚歌劇のチケットを取ってもらって。

R:それは、何歳の時ですか?

ふ:6歳の時ですね。

それが、凄く、印象的で! 子供心に本当に感動しました!舞台のセリフとか動きを覚えてますもん!

R:え、本当に?

ふ:もしかしたら、あとになってテレビとかで見た部分もあるかもしれませんが、男の人と、女の人が、こんな感じで出てきて(※ジェスチャーされてました^^;)セリフ喋ってというのが、今でも、目に浮かんでくる。

R:へ~~

ふ:それくらい凄く印象的、衝撃的でした。素敵だな~って感じたんですね。

R:なるほど、なるほど、それで、その衝撃から何か、行動には移されたんですか?

ふ:これはどっちが先かは分からないのですが、私がピアノを習いたいという事を言ったらしく。

でも、習いごとをするなら、宿題が無い方が良いんじゃないかって、母に言われて。

家で宿題させるのが大変かな?って思ったそうです^^;

それで、当時私はひどいアレルギーがあって、そんなに体も強くなかったから、運動とかどうかな?って思ったらしく。それでバレエ教室に連れて行かれて。

で、教室を3つくらい見学したんですよ。これも私覚えているんですが、その中で一番ゆったりで楽しそうなクラスを選んで、その先生に習いに行っていました。

これが、宝塚の前か後かは、良くわからないのですが、その頃にバレエを始めました

R:へ~、結構やられたんですか?

ふ:これは凄く珍しいケースだと思うんですが、週一回のレッスンを、高校生までやったんですよ。

バレエやる人って、バリバリ、週三回くらいレッスンして、コンクール目指すか、高校くらいでやめるかなんですけど。

R:へ~、楽しかったんですか?

ふ:楽しかったんです。踊りの楽しさを伝えたいって先生で、それが伝わってくる先生で。

調子悪くて、熱が出てても、見学だけ行くって言って、行って踊ったら元気になった!みたいな(笑)

そんな感じでしたね。

R:逆は、良く聞きますよね^^; 今日体調悪いっていって、休むみたいな^^;

行かないための、理由をみつけるというか。逆なんですね、行きたいんですね^^

ふ:行きたかった。他のバレエ教室と比べて、とても柔らかい教室でしたけど。

踊る事とか、舞台の楽しさを学ぶって意味では、凄く良かったです。

調べる才能とセンスと

R:高校の時も、バレエを続けられてたんですか?

ふ:高校の時は最初、ダンス部に入りたくて。ダンス部がとても強い高校で、でも倍率が高すぎて、入部審査が有って、で、審査に落ちて入れなかったんですよ。

R:すごいですね。

ふ:それで、私はやっぱり、将来ミュージカルをやりたいって気持ちがあって、ダンス部には入れなくて悔しかったからバレエはそれまで週一しかやってなかったけど、バレエのレッスンを増やして、ジャズダンスもやりたいなって思って。

それで、自分が通える範囲のダンス教室を、電話帳で調べて、端から全部、電話してみたんです。

R:凄いね。

ふ:そうなんですよ、そういったところストイックなんですよ。電話して、見学に行って。通いやすくて、楽しそうなところ。自分のフィーリングに合ってる先生で。ミュージカルをするにはバレエとジャズダンスの両方が必要なのですが、両方習うことを良しとしない先生も多いので、一つのスタジオでバレエとジャズダンスの両方学べるスタジオが良いなって思って。

R:凄い賢いっていうか、色々、考えてらっしゃいますよね^^;

ふ:笑、そうですかね?ただ、調べるのが好きなんですよ^^

R:僕なんかの場合は、特に、高校性くらいからなんかは、効率?というか、実利というか。

例えば、安さとか近さとか、物理的な要因を、基準においていた気がするんですが。

そのころから、フィーリングとか、気持ちの部分を、大切にされていた印象を受けますね。

ふ:感性も大事にしてるかもしれませんが、それよりもミュージカルをやりたいって思いがあったから、そこは、目的に適うかどうかって部分を見ていたと思います。

R:ミュージカルやりたいってところまでは、結構、しっかり固まってたんですか?

ふ:固まってましたね。

R:それはいつくらいからですか?

ふ:えー…、それは…………… 要するに6歳ですね^^

R:凄いね!

ふ:宝塚見た瞬間にそうだったと思います。

R:結構、その瞬間にインストールされてたんですね。

ふ:はい、思えば小学校は合唱部でした。

R:あ、まずは歌から、入ってたんですね^^

ふ:歌をやりたいなって思って、まずは、合唱部に入ったんですね。

同時に、絵を描くことも凄く好きだったんで、大学受験まで、絵を描くのか、舞台人になるのか?っていう2択はずーっとありましたね。

小学校の段階では、バレエを習いつつ、合唱部に入って、絵を描いてたって状態でした。絵も凄く楽しくて。ちょっとしたクラスの代表とかで、「誰か絵を描いてくれる人居ない?」って時には指名されるので、まじめに描くと、また頼まれて。それで、ちょっとした賞を取ると、先生がまた頼んでくれて、描いてるとだんだん、上手くなっていって、いつも賞状とかをもらえて、絵を描くと、しあわせだな~って思ってましたね。中学校の段階では美術部に入ってひたすら描いてました。

R:なるほど。結構、抵抗なくというか、自然と、芸術系の道と言うか、レールには、乗っていた感じですね。

ふ:そうですね、乗ってましたね。

誕生日プレゼントなんかも、小学生くらいの頃から、舞台のチケットをもらうようになっていて。

R:へ~~~

ふ:モノであんまり欲しいモノがなくて、やっぱり舞台がみたいんですよ。で、愛知県で観られる舞台ですと、中日劇場ってところで観られる東宝の商業ミュージカルか、宝塚をいつも観ていました。

R:なんか、別の畑の作物の話を聞いている感じになりますね^^;

そんな世界があったんだ~!みたいな^^;

ふ:ただ、そんなに観られないですよ。子供なんで。年に何度しか観られないから誕生日プレゼントは、全部チケットにしてもらったわけです。

宝塚のチケットを買うために、電話の掛け方とか、敬語とか覚えました。

R:そうなんだ。

ふ:宝塚の雑誌を買って、宝塚友の会に入って。

当時はネットが無かったから、電話で申し込まないといけないので。

芸術に関する、家庭の理解

R:その辺は、自由だったんですか?

例えば、勉強しなさいとか、人生こういうもんだから、芸術とかやってても、みたいな。

そんな話は、家庭の中では無かったんですか?

ふ:…あ、その辺は、、、、祖母の影響があるかもしれませんね、祖母は、良く、私のバレエの発表会に来てくれていて。

その時、祖母が良く言っていたのは「お金は取られるけど、自分の身につけた事は、誰にも取られないから、芸事やいろいろな習い事をやるのは、良い事だよ」と。

R:そういった、芸は身を助けるじゃないですが、そういった、考えが家庭にも存在していたってことですかね?

ふ:そうですね、そういうことでしょうね。だから、習い事とかそういった事をやる事は、応援してくれてる。

R:良くありますよね、最初の段階で、親の期待との葛藤とか、反対とか。そこは、結構、緩かった感じなんですか?

ふ:基本、反対されなかったですね。私が踊ったり絵を描いたりすることに関しては、止められた事は無いですね。

R:喜んでくれる事とかも、ありましたか?

ふ:ありましたね。わりと喜んでくれる。絵に関しては、賞も取るし、わかやすさもあって。アレルギーで体が弱かったこともあり、集中してできることを見つけていることをいいことだと捉えてくれていたと思います。

R:それも嬉しいですね。周りの理解があって、自分も楽しいって言う。

進路について

R:そんな感じで、高校時代は、バレエとか、ジャズダンスをやられていて。

進路はいつくらいに決められたんですか?

ふ:そうですよね~、、、高校時代は、バレエとジャズダンスを週5レッスン受けてて。

R:5レッスン!!!

ふ:そう、そこから突然^^ 5レッスン受けてて、週3日くらい通っていました。そこからどの大学に行くかを凄く調べて。日本で舞台芸術を学べるところを全部リストアップして資料集めて!

R:凄いですね!

ふ:それで、高校2年生くらいから、大学の学園祭を全部見に行きましたね。体験入学できる所は、全部申し込んで。

R:え、そういう調べる知恵は、自分で考えたんですか?

誰かに教わったとかでなくて、自主的に、自分で調べたんですか?

ふ:なんか、、、私、昔から、集める事が好きなんですよ。

石とかも集めちゃう。割とストイックに集めていて。

で、調べたいって欲求も結構強くて。

大学入って私が驚いたのは、私は、この大学で週何コマ実技が一年生の段階であるのか、明確に把握して入ってるんですよ。それは、学校の入試課に電話して聞けば分かるんですね。授業に実技が一週間に何コマあって、何時間踊れる、と。全部、把握して入ってるんですね。

それで、大学入って私は授業の内容が想定通りなんですが、みんなは大学入ってから、「あれ、この学校、意外と、実技少ないんだね。」とか言っていて。

R:なんか、だんだん、僕もソワソワしてきましたが^^; 僕もどっちかと言うと、その、みんな系なんで^^;

ふ:それは、そう、私の特殊な部分かも。

話それるかもしれませんが、ストレングスファインダー(※)ってご存知ですか? そのTOPが私は、収集心なんですよ。(※「人は自分の弱みを改善するよりも、自分の強みに意識を向けそれを活かすことで最大の能力を発揮する」という考え方に基づきアメリカのギャラップ社が開発したツール。Webサイト上で177個の質問に答えていくことで、自分の強みを知ることができる。

R:なるほど、普通にできちゃうんですね。苦じゃないんですね。

ふ:そう、好きなんです、集めるのが楽しくて。そして、社交性が2番目なので学校説明会に行って先輩にあって、色々話を聞いたりするのも楽しくて。

R:才能を活かしていたんですね。本人からしてみると、当たり前なんですね。

ふ:そうなんです。ええっと、それで、なんの話してたんでしたっけ?(笑)

R:そろそろ、進路を決めた時のお話をしていただけたら(笑)

ふ:そうそう(笑)  進路の話をしますね。(笑)

進路は大学をいっぱい見て、本当はミュージカルか、演劇のドンピシャのコースを選びたくて。

そして、OBの進路なんかもしらべて。本当は、入りたい大学が他に有ったんですが、入れなくて。

最終的に日本女子体育大学の舞踊学専攻 ってところに入ったんですね。ダンスの専攻です。

今は、結構あるんですが、当時は舞台系の大学があまりなくて。

さらに女子は異常に倍率が高かったんですよ。

女子だけ20倍くらいあって、男子は2倍とか、3倍とか。

学校側としては、男女両方欲しいわけですから^^;

それで、日本女子体育大学に入って、「体育大か~。 学校の真ん中にグランドあるよ~。 みんな、ジャージで歩いてるよ~。」とか思ったんですが、入る前から、先輩の様子をみていると、さっぱりしていて、「きっと悪い大学では無いかな」とも思っていて。

R:それにしても、凄い、リサーチ力ですよね。

ちょっと追加でお聞きしたいのが、確かに、収集力というか、才能も有るんですが、行動が凄い真剣だったんだな~ってのが伝わってきてまして^^

実際のところ、将来に向けてのビジョンというか、どの辺りまで見ていられたんですか?

ふ:多分、、、、小学校くらいの段階で、バレエの先生になって、趣味で絵を描くか。デザイナーみたいな仕事をして、趣味で踊るか。みたいな。

R:そこが、もう、既に、小学校くらいから見え始めていた!

ふ:ですけど、この辺は考えが固くて。日本では、アーティスト系は仕事として、難しいのかなって感じていて。

R:けど、やっぱり、そのころから、アーティスト系で、身をたてようって決めてたんですね。

ふ:身近に、アーティストで身を立ててる人が居たら、違ったのかもしれませんが、アーティスト系ではありますが、アーティストではないんですよ。

「私は、一生舞台人です!」って感じでは振り切れない。置きに行くというかどこか冷静。この感覚が、自分にとっての物足りなさですね。

R:なるほど、そこは、どのあたりからくる傾向ってご本人としては感じられますか?

ふ:うーん、心配性なんですかね。例えば幼稚園の頃、アレルギーで食物制限がかなりあったので、友達の家に遊びに行ったらおやつの時間にクッキーがでてきたら「このお菓子は食べられないんです」ということを伝えないといけない。そうしないと夜中に痒くなって困るのは自分なので…。でもなにか食べたいので「フルーツなら食べられます」といって持参したリンゴを食べる、みたいなことがよくあったんですね。そのせいか、全体をみながらも、自分の希望を叶える道を探す、みたいな…。そういう冷静さはいつもありますね。

大学もある意味、行かなくても良いわけじゃないですか?「私、舞台人になります。」以上!でも良いんですが、日本なんで大学は出ておこうって思いました。もしかしたら将来就職するかもしれないから。

R:大きな流れもみつつ、どこか置きにいく、保険をかける的な部分もあったと。

ふ:そうですね。

大学生活

R:大学生活は、どんな感じだったんですか?

ふ:大学は、、、ずーっと「社交ダンス」をやっていました。

ミュージカルを目指していたのに何故、社交ダンスをやったかと言うと、高校の時にお世話になった先生に、「体育大学と言うのは、凄く部活に力を入れてるところが多いから、良かったら部活に入ると良いよ」っていってもらったんですね。

それで、大学で色々な部活を見たときに

社交ダンスは、年をとってからもできそうだし、外国でもできたら良いなって思いましたし。

体育大学なんで、部活の売り文句としては、「大学から始めても日本一になれますよ!」っていうのがあって。

社交ダンス部はとても強い部活で、団体ではいつも日本で一番か二番になるんですね。

それで、全国一番って言うのは、どういう景色なのかな? 一番になるクオリティの練習っていうのは、どういう世界なのか?そういった事を見るのにも、興味があったので。ミュージカルのレッスンを受けながら、部活に出ればよいかなって思って入ったんですが、むちゃくちゃ忙しいんですよ^^;

週に5~6回練習していて、一日、5-6時間くらい練習するんですよ。

夕方4時から練習して、10時くらいまで。そこからみんなで飲みに行くんです。

そしてどうしたら、もっと、上手く踊れるかと言う事を話し合うんです。

その中で、先輩、後輩の線引きはあるんですが、よその部活に比べては、先輩が、めっちゃ怖いとか、いじめられるとか、そういった事はなくて。

凄く、学ぶことも多かった部活で。

R:典型的な体育会系だと、ありますよね、シゴキとか、理不尽にいじめられる的な。そういったのは、無かったんですね。

ふ:なかったですね。メニューは3年生が決めるんですが、いかに、後輩を試合で勝たせるかと言うのが、先輩の使命なんですね。

3年生は、特に1年生を子学年とよんで重点的に面倒をみるのですが、いまでも、その先輩方は、お兄さんというか、家族みたいな感じが有りまして^^

R:そういった学びもありますよね! 結構、気合い入れて、社交ダンスやられていいたんですね。

ふ:勝負の世界ってのは楽しかったですね。舞台で踊るダンスとは一味違って、スポーツの世界で。

将来について考えていた事

R:そんな感じで、社交ダンスをやりながら、将来の事については、どんな風に考えていたんですか?

ふ:将来のことについては、、、大学では、いろんなダンスを学べてとてもよかったのですが、私は授業以外は社交ダンスばっかり踊っていたので、他のダンスがあまり出来なくなっていて^^;

他の学生たちは、外の教室で週に何時間もダンスをバリバリ習っている子が多くて、そういう子達ってめっちゃうまいなって

で中には、いるんですよ、1学年に100人もいるので、その中に天才みたいな人が。

けど、そんな子たちを見ていて、果たして、彼女たちは、行く先があるのかな?って。日本のダンス界で。

そんな彼女たちの応援をしたいなって思ったんですね。

才能が有る人たちが舞台で活躍できる様に、社会と舞台の橋渡しが出来る様な仕事をしたいって。

そんな正義感が目覚めたんです。そこで。

R:これは、良い悪いではないですが、小学校の頃からは、どちらかというと、自分が、表現者、踊る側を目指されていたのが、このタイミングくらいからですかね? 少し、方向が変わってきたんですかね?

ふ:道としては、社交ダンスのプロを目指す道もあったのですが、社交ダンスは教室を持って、先生になる世界で。さらに常にスポーツとしてダンスに向かい合い続ける生活です。自分はどこかしっくりとこない部分があって。

子供の頃から、舞台、劇場はものすごく好きだったんで。同級生の子たちが活躍してほしいという思いもあり、何か、舞台に関われる仕事がないかなって。調べ出したんですね。

R:又、調べ出したんですね(笑)

ふ:で、調べて行ったら、制作という舞台のマネージメントなんかをする仕事をみつけて、それを、やりたいって思ったんですね。

R:なるほど、舞台に関わる仕事をしたいってのは、決めていたんですね。

仕事のイメージ

R:そのころの仕事に対するイメージってのは、どんな感じでしたか?

ふ:私の中でずーっとブレないのは、自分の好きな事を仕事にするには、どうしたらよいんだろう?って想いです。

そう!大学で凄くうらやましかったのは、「私は単に踊るのが大好き」って感じで、仕事の事とかを考えないで、ただただ踊る事に集中してる子がいて。

私は、それは出来ないって感じました。

どこかで必ず 「これを職業にするにはどうしたらよいかな?」「社会の中でどうあるか?」って視線が、持ちたくなってしまうんです。

R:なるほど、悪い事では無いですよね。融合? 芸術と社会、現実?現実って言うとあれですが、そこの紐づけを意識してるって事でもありますよね。

これ、ちなみに、個人的な興味で聞くんですが、そんな感じで、仕事とか職業とか、関係なくて、ただ踊りたい!って人は、100人くらいいたら、100人中、何人くらいが、そんな感じなんですかね?

ふ:え?!何人いるんだろ? 100人いたら? 、、、それはタイミングによっても違うんですが、私の目線としては、100人いたら、1/3くらい??? 30人くらいですかね?私の大学は専門的としてダンスを学びに来てる子しかいなかったので。結構多いんですよっ。後先考えず、私は踊ってればよいって人は。

R:これも難しい質問かもしれませんが、そういった人たちって今、何をされてるんですかね?

ふ:それがですね、何も考えないできっちり踊れると、クオリティが上がっていくんで、何も考えていなかったはずなのに、それなりに、何かが、始まっていくんですよ!

例えば、役者のような異ジャンルの表現者に、なっていく子もいますし。 ずーっと踊っていると、突然、地域活性イベントで指導して欲しいって言われる子がいて、それが、ゆくゆくは、仕事になっていくとか。

もちろん、中には、個性が強すぎて、道に迷ってぐるぐるしちゃう子、引きこもりっぽくなる子、なんかもいましたけど。

社会的なやり取りがしづらい気質があるんでしょうね? アーティストだから。

R:ある種、ぶれてない人たちなんですかね?

ふ:ぶれずに、自分の踊りに集中する資質のある人たちに、憧れましたね~。

R:いまでも、そんな思いはありますか?

ふ:今もありますね。私はなれない。

R:それは怖さですか?

ふ:怖さでは無いですね。それは資質の違いなんじゃないかって感じます。

R:そうですよね、それも、良い悪いで無くて、それぞれの資質で、どうやって行けるかって事でもありますよね。

制作の仕事に進んだきっかけ

大学院へ進学

R:制作の仕事を、最終的に、決められたきっかけは何だったんですか?

ふ:劇場での、制作インターンの募集が4年生くらいのときにあって。

そういった事を、積極的に進めるのが得意な先生がいらして。

興味はあったのですが、その時は、部活が忙しくて^^;

それで、ダンスや制作について学んだり人生について考えたかったのと、あと、大学時代の研究室の先生とも、凄く相性が良くて。その先生が、大学院においでって言ってくれたんですね。それもあって、大学院に進学する事を決めたんですね。

R:これは、私の印象なんですが、常に、大切な部分と言うか、深い部分。流されるというよりは、なにか、根っこ?ベースの何か大切な部分をちゃんと見続けている感じがしますね。そこは見失ってないみたいな。

ふ:ちょっと冷静なんですよ(笑)

R:そうとも言えますけどね。

ふ:これは何なのかってのは、考えてるんですね、、、きっと。

R:そこが見えてるのが、凄いって感じますけどね。

ふ:それが何によって、どう成り立っているのか?知りたいって思いはありますね。

あの上手いダンサーの人は、どうやって、あんなに、集中してるのかなとか?

分析はしきれないんですけど、そういった部分を見るのは、好きなんでしょうね。

R:大学院での、研究テーマはなんだったんですか?

ふ:大学院の研究テーマは、コンテンポラリーダンスの団体、ダンスカンパニーが、助成金を貰うときに、どういう評価基準で助成金をもらう事ができるかという評価の基準を、国や企業の助成金担当者に聞きに行って、それをまとめるって事をしていました。

制作がやりたくて大学院に進学したので、制作の仕事に役立つ実践的なテーマにしたかったんですね。

R:ちなみに、僕、素人なんで。制作のお仕事って、具体的に、どんな事をするお仕事なんですか?

ふ:演劇やダンスなどの舞台公演を行う時には、かならず必要なポジションなのですが、公演の運営や、マネージメントや事務方を全てやる人です。経理とか、広報とか。公演そのものの企画を立てることから始まって、劇場や稽古場を確保したり。公演当日のお客様の受付やスタッフ打ち上げの精算、終わった後の経理や、国や企業などの助成金をもらったところへの、報告書を書くとか。

全部を総まとめするポジションなんですね。

R:むっちゃ、色々、ありますね!!!

制作の仕事を志したきっかけは、才能の在る方々のサポートをしたいって気持ちで良いんですかね?

ふ:そうですね。それと、制作のインターン担当の先生が、とても熱く語っていたので、その話に感動したのも切っ掛けの一つですね。

大学院に進学して勉強しながら制作を学んでいこうかなって。

凄く、沢山行きましたね!インターンに。まず大学の先生に紹介してもらって。で、行った先でも、何かあればお手伝いしたいのでお願いしますってのを繰り返してずーっとやってましたね。

R:楽しかったんですか?

ふ:楽しかったですね。やりがいもありましたし。

一流のアーティストさん達の姿も間近に見れましたし。その時出会った、制作の方や、プロデューサーさんが、本当に真剣に仕事をされていて。

私の仕事のはじまりといいますか、社会との出会いは、このインターンの仕事でしたが、出会った大人たちが、本当、皆さん、素敵でしたね。

R:なるほど。そんな仕事文化と言うか、仕事世界の第一印象は、そんな感じだったんですね

ふ:お金もそんな沢山あるジャンルではないですから、好きでないとできないですね。心から情熱をもって、舞台を良くする為に働いているスタッフさんばかりでした。

大きかったのは、大学の先生の紹介で行った制作事務所のインターンで、一公演制作チーフを任せてもらえて。

インターン初日に事務所に挨拶に行ったら、チケットを束で渡されたんです。「これ今回の公演のチケットだから、あなたきちんと管理してね。」って言われて。

さらに「今までのインターンの子みんな泣いたから覚悟してね」なんて言われまして。 この時は事の重大さがわかってなかったのですけれど、数百人いらっしゃるお客様のチケットの管理すべてを任されたんですね。事前精算のお客様へのメールご案内や振込確認、チケット送付、当日受付の準備、招待状やDMプレスリリースの発送などなど。大変な仕事でした。

結局、最後まで泣きませんでしたが(笑)

R:ある意味、公演の肝の部分ですよね。

ふ:そのとおりです。 …しかし、いっぱい失敗もしましたね、公演中に。

R:たとえば?

ふ:色々とやらかしました。 当日精算のお客様の受付が上手く行かなくて、開演が遅れてしまったり。思い出すだけで胃が痛くなるようなこともたくさんありました。

もちろん、プロデューサーさんがいて、全面的にサポートはしてくれているのですが。

R:その時のモチベーションってどんなモチベーションでやられてたんですか?

ふ:制作で独り立ちしたい。制作のプロになろうって。

R:その思いで、大学院で勉強しつつ、卒業が迫ってくるわけじゃないですか?どんな感じだったんですか?

ふ:劇場や舞台関係の仕事で就活はしていたのですが、

当時通っていた、ある劇場のアートマネージメント講座で、演劇の制作会社の社長さんと仲良くなって。その方が良かったら、うちで働かないかって誘ってくれて。

R:それも、御縁ですね。

いよいよ、大学院も出まして、卒業しました!!!

ふ:やっとですね。まだまだ紆余曲折あります〜^^;

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凄く、楽しいお話を、沢山聞かせて頂いたので、今回は、大学院卒業までを、前篇、第一部とさせていただきました。(結局、その翌週もお邪魔して、二日がかりのインタビューでした^^;)

後半も、華舞師に至るまでの、色々なストーリーで盛りだくさんです。

近日アップいたしますので、お楽しみに^^

素敵な作品やパフォーマンスの写真、動画もあります

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華舞師の、ダンスと花との日々

華舞師 山本芙沙子(踊りの中でお花をいけるアーティスト)さんのブログ「華舞師の、ダンスと花との日々」です。最新記事は「鈴木ルビーさん写真展にてグリーンディスプレー」です。